陽に当たるテオブロミン

そのときに書きたいものを残す。ゲーム、書籍、この世の理。

ボブヘアーが似合う女の子はかわいいなぁ

日和ちゃんのお願いは絶対 というラノベが想像以上に怖い話だった。タイトルの通り、日和ちゃんのお願いは絶対なんだけど、この「絶対」を甘く見ていた。お願いの力が発揮されるたびに驚かされ、鳥肌が立つばかりだった。

日和ちゃんの「お願い」はコードギアスの「絶対遵守」に対して相手に命じた事を必ず行わせるところは同じのはず。ただ絶対遵守が一度きりだとか、効果範囲や条件の違いも踏まえて、一番大きな違いは絶対遵守が相手の意思に関わらない強制力を持つのに対して、「お願い」は命じられた相手の意思があるままにそれが行われることだと思う。というか日和ちゃんはそれがメインの話なんだと思う。

個々人がその人らしく生きて、考えて、行動しているのを変えてしまう。人間らしさを奪ってしまう。ギアスをアマプラで見たときに思ったのは「原因が与えられて、結果が得られる」ということで、それは「二酸化マンガン過酸化水素水を加えると酸素が発生する」といったような化学反応だということ。「自害しろと言ったので、自害した」というのは現象でしかない。逆にそれは呆気なく行われることにより強力さと非情さの演出になる。ただ、例えばこれが「お願い」で行われたらどうだろうか。「自害してください」のお願いを受けた人は悲しむだろうか、絶望するだろうか、混乱するだろうか、人生のどん底に強制的に叩きつけられ、本人の意思で自害する。それは無意識のうちに命を落とすことよりも残酷で、非人道的なことだろう。

そして、幸福に感じるように「お願い」されればいいというわけでもないというのが1の話。自由であり不自由でもある現代社会、選択の余地のある人生に於いて尊重されるべくある意思の重要性、生きている意味とは、生き甲斐とは何か、ということを左右する「お願い」の力は量り知れず、その責を伴う怖ろしさを思うと日和ちゃんの見方がどんどん変わってきて、渦巻いて、最終的に

 

ボブヘアーが似合う女の子はかわいいなぁ

 

くらいの感想に収まってしまうんですね。